平日:10:00~18:00/土日祝休業

有名な文豪たちも同人誌を作っていたらしい

硯友社の『我楽多文庫』

「同人誌」の歴史を語る時、必ずと言っていいほど最初は明治時代から始まります。

硯友社という文学同好会(今でいうサークルですね)が発行した『我楽多文庫』という文芸誌が同人誌の先駆けと言われています。
硯友社のメンバーには『金色夜叉』で有名な尾崎紅葉、山田美妙、石橋思案、丸岡九華などが名を連ねていました。
同好の士が集まり、お金を出し合って本を作り、各々の作品を発表したという、正に現在の同人活動と似たような感じですね。
もちろん当時は二次創作はありませんでしたから、みなオリジナルの作品を持ち寄り、掲載していました。
最初は肉筆で書かれた(メンバーが書いた作品を紅葉と美妙が清書)回覧雑誌でしたが、後に活版印刷で作られ、書店で販売されるようになりました。

『文学界』『新思潮』『白樺』『アララギ』『ホトトギス』

明治時代の同人誌は他にも島崎藤村や樋口一葉などが参加した『文学界』、谷崎潤一郎が初期作品を掲載していた『新思潮』、武者小路実篤や志賀直哉たちが創刊した『白樺』などがあります。
『白樺』は当時の学習院の学生たち十数人がお金を出し合い、作ったものです。上流階級のお坊っちゃん揃いでしたので、周囲からは「しらかば」ではなく「ばからし」と馬鹿にされ、批判されたようです。学習院内でも禁書にされたとか。
その他、短歌や俳句の部門では、多くの歌人が参加した『アララギ』、『ホトトギス』などがあります。

『青鞜』は”Bluestocking”の和訳?

文芸誌とは少し違う意味合いで発行された同人誌として青鞜社の『青鞜』にも触れておきましょう。
『青鞜』は明治から大正にかけて女性メンバーだけで作られ、発行されていた月刊誌です。
創刊号の表紙を描いたのは洋画家の長沼智恵子。後に詩人の高村光太郎と結婚した人です。光太郎が書いた『智恵子抄』という詩集が有名ですね。
女性解放運動家の平塚らいてうを中心に作られ、与謝野晶子も作品を寄稿しています。
『青鞜』という変わった名前は、翻訳家の生田長江が「Bluestocking(ブルーストッキング)」という言葉を和訳したものです。
ブルーストッキングというのは18世紀にイギリスの女流文学者E.R.モンタギューを中心に作られた教養ある婦人たちが集った会の名前です。
本のタイトルやサークル名(団体名)をそういうところから借りてアレンジするというのは、ある意味、現代と同じですね。
このように、明治時代から同人誌は日本の文学史と密接な関わりを持っていました。
当時、オンデマンド印刷やコピー機があれば、文豪たちもこぞって利用したのだろうな……なんて考えてしまいますね。