同人誌の歴史とは?同人誌は明治時代から存在していたらしい【同人誌豆知識】
現代ではコミケなどのイベントにより一般的になりつつある同人誌。
そんな同人誌のなりたちを知っていますか?
実は、同人誌は明治時代から存在していました。
当記事では、同人誌の歴史について紹介していきます。
そもそも同人誌とは?
まずは簡単に同人誌の定義を解説します。
同人とは、共通の趣味を持つ人、もしくは団体のことを指す言葉です。
自らが作りたいものを流通に乗せず、自費出版などの形で発行した本のことを同人誌といいます。
現代ではサブカルチャーとしての側面が強い同人誌ですが、もとを辿ると文芸誌の一種であり、現代日本文化の起源のひとつであるといってもよいものだったのです。
同人誌の始まり
日本で初めての同人誌は、1885年に発刊された『我楽多文庫(がらくたぶんこ)』であるとされています。
この本は、尾崎紅葉や山田美妙らが発刊した文芸誌で、小説や詩、短歌などが載っていました。
『我楽多文庫』はのちに書店でも販売されるようになりましたが、初期のころは肉筆の回覧誌だったのです。
それからは、『我楽多文庫』に続くようにさまざまな同人誌が作られます。
正岡子規や夏目漱石らが参加した『ホトトギス』、武者小路実篤や志賀直哉らが参加した『白樺』、太宰治や中原中也らが参加した『青い花』など、現代においては誰もが知る文豪、作家たちも同人誌を作ったのでした。
今ではあたりまえのように読まれている作品の作家が同人活動をしていたと考えると、文化の築きには同人誌が必要不可欠であったといってもよいのではないでしょうか。
漫画同人誌が生まれる
漫画やアニメの文化が盛んになりだした戦後日本では、漫画同人誌が誕生しました。
とはいえ、このころはまだ印刷技術は発達していません。
基本的には肉筆で書かれた同人誌を身内で回す、回覧誌が中心でした。
コミックマーケットの誕生
1975年、現代ではコミケとして親しまれている「コミックマーケット」が誕生します。
当時はまだガリ版や青焼という印刷手法が中心で、1000部以上の発注が基本となっており、印刷会社を使っての印刷は気軽にできるものではありませんでした。
コミックマーケットの参加者数も現代に比べると大幅に少なく、200程度となっていました。
1981年、コミックマーケットが初めて東京国際見本市会場(東京・晴海、1996年閉場)で開催。
このころから、コミックマーケットの勢いが急激に増していきます。
印刷所も少部数の印刷が可能となり、気軽に同人誌を発刊できるようになってきました。
1996年、コミックマーケットが現在の東京ビッグサイトでおこなわれるように。
初の東京ビッグサイトでの開催となった「コミックマーケット50」のサークル参加数は18,000と大規模なものになりました。
現代の同人活動
現在、コミックマーケットの参加サークル数が30,000を超えているように、同人誌活動はますます活発になっています。
時代の移り変わりとともに、インターネットを利用した同人活動が生まれたり、気軽に通販をすることができたりと、流れも変わりつつあります。
漫画・アニメ文化もより一般的になっており、幅広い層で親しまれています。
おそらく同人活動はさらに形を変え、盛り上がっていくのではないでしょうか。
同人誌と日本の文化は切っても切れない存在です。
昔から、日本では創作を楽しむ文化がありました。
その文化を継いでいる私たちも、創作を楽しんでいきましょう。